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大阪地方裁判所 昭和53年(ヨ)1507号 判決 1980年11月07日

申請人 照屋智子

<ほか三七名>

右申請人ら三八名代理人弁護士 小林保夫

同 原田豊

被申請人 大照金属株式会社

右代表者代表清算人 野口荘六

被申請人代理人弁護士 徳田勝

当事者の表示 別紙当事者一覧表のとおり

主文

一  被申請人は、申請人らをいずれも被申請人の従業員として仮に取扱え。

二  被申請人は、申請人番号1ないし35記載の申請人らに対し昭和五二年三月一三日以降毎月末日限り、申請人番号36ないし38記載の申請人らに対し同年六月一一日以降毎月末日限り、それぞれ別紙賃金一覧表記載の金員を仮に支払え。

三  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請人ら

主文同旨

二  被申請人

1  申請人らの本件仮処分申請をいずれも却下する。

2  申請費用は申請人らの負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者の地位等

被申請人は、肩書地に本社を置き、従業員五五名を擁し、産業機械および部分品の製作、鉄道車輛部品の加工、金属加工その他これに付帯する一切の事業を営業目的とする株式会社であって、本社内敷地に本社工場を、住友金属工業株式会社(以下、住友金属という。)製鋼所(大阪市此花区島屋五丁目一の一〇九所在)内に通称所内工場を、和歌山県和歌山市湊一八五〇住友金属和歌山製鋼所の隣接地に通称和歌山工場をそれぞれ有し、住友金属の専属下請企業として、列車の車輛、台車、車輛の切削加工、鋼管の外型削りを主たる作業内容としている。

申請人らは、いずれも被申請人に雇傭されて本社ないし各工場において稼働してきたものであるが、被申請人の従業員によって組織された全大阪金属産業労働組合大照金属分会(以下、組合という。)に所属する組合員である。

2  本件解雇

被申請人は、事業を継続することができなくなったとして、昭和五二年二月一八日開催の臨時株主総会において解散決議(以下、本件会社解散ともいう)をし、同月一九日債務超過のため大阪地方裁判所に特別清算手続開始の申立てをし、さらに同年三月一二日付をもって申請人手塚昭三、同安井守男、同上里明を除くその余の申請人らを含む全従業員を会社解散に伴う事業閉鎖を理由として、同年六月一一日付をもって右申請人手塚、同安井、同上里ら三名を会社解散に伴う清算手続終了を理由として、それぞれ解雇する旨の意思表示(以下、併せて本件解雇という。)をした。

3  本件解雇の無効

(一) 本件会社解散決議の無効

現代の企業は多数の従業員を使用して生産や流通にかかわる営業活動を行っており、しかもそこで働く多数の従業員やその家族の職場と生活が企業の存在に依存しているのであるから、企業は経営者や株主の打算のみによってその存廃を決することの許されない社会的責務を負っているものというべきである。

したがって、会社解散の決議も全く株主総会の恣意に委ねられているものではなく、もっぱら組合破壊の意図にでたとか、経営者や株主の利益のみを追求する立場から組合との事前協議や同意を得る手続を約しながらこれを踏みにじって行われる場合には解散決議自体が権利の濫用として無効になると解すべきところ、本件における解散決議は、後記のとおりもっぱら申請人らの所属する組合の存在と活動を嫌悪し、これを壊滅することを目的としてなされたもので、しかも労働協約上の事前協議義務にも違反しているのであるから、権利濫用として無効というほかなく、したがって、無効の解散決議に基づいてなされた本件解雇も当然無効である。

(二) 労働協約違反

被申請人と組合との間に締結された昭和四七年一二月二一日付労働協約一八条には「会社は、左記の場合以外組合員を解雇しない。1本人が死亡したとき2本人の意思により退職を申し出たとき3懲戒解雇を必要とするとき4定年に達したとき5休職期間が満了してもなお休職事由が解消しないとき6その他会社・組合協議の上必要あると認めたとき。」と規定され、さらに昭和五〇年一一月一〇日に改訂された労働協約五条には「会社は、企業の合併、分割、譲渡、縮小、休廃止、移転等は会社が決定するものであるが、決定するについては事前に組合と協議し、組合の納得を得てから施行するものとする。」と定められているところ、被申請人は、会社解散をなすにあたり事前に組合と協議をし、その納得もしくは同意を得る手続を一切行っておらず、また本件解雇も突然一方的に行ったものであって、右労働協約の各規定に違反していることは明らかであるから、本件解雇も亦無効である。

《以下事実省略》

理由

一  申請理由1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  被申請人は、申請人手塚、同安井、同上里ら三名の解雇はいずれも同申請人らの希望に基づいてなされたものであり、しかも解雇後同申請人らは解雇予告手当金を受領しているのであるから、本件解雇の効力を承認したものというべきである旨主張する。

被申請人代表者および申請人手塚昭三の各本人尋問の結果によると、申請人手塚ら三名が被申請人の主張する理由により被申請人(以下被申請人会社ともいう。)に対し、解雇すべき旨申入れをした事実は一応これを認めることができるが、被申請人も自認するとおり、被申請人会社は右申入れがなされた当時、すでに解散決議を了して清算手続に移行しており、操業も停止し、清算事務を担当していた同申請人らを除きその余の従業員はすべて解雇されていたのであるから、近い将来事業が再開される見込みもなく、したがって同申請人らも清算手続が終了次第解雇されるであろうことは容易に推測しうる状況にあったもので、かかる状況下において同申請人らが解雇後の生活の安定を図るため、とりあえず当面唯一の収入となる雇用保険法に基づく失業給付金をできるだけ多く確保しておきたいと考えるのは至極当然というべきであり、したがって、右給付金の支給基準となる解雇前六か月間の平均賃金が低下しないうちに解雇すべきとの申入れをしたからといって、そのことから直ちに解雇の効力を承認し、今後一切争わない趣旨も含まれているものと解することは到底できないし、またそう解すべき疎明もない。

また解雇予告手当金の受領についても同様に解するのが相当である。

したがって、被申請人の右主張は理由がない。

三  本件会社解散決議の効力

申請人らは、本件会社解散決議はもっぱら組合の存在と活動を嫌悪し、これを壊滅することを目的としてなされたものであり、しかもあらかじめ会社と組合との間で定められていた労働協約中の事前協議義務を全く履行していないのであるから、明らかに経営者に認められている企業廃止自由の濫用というべきであって、無効である旨主張する。

しかしながら、企業主体(株主)には憲法二二条で定める職業選択の自由の一環として、会社の設立、廃止(消滅)の自由が認められているのであり、現行法制上は企業の存続を強制しえないのであるから仮に解散決議の動機がもっぱら組合を壊滅する意図のもとになされたとしても、そのことから直ちに解散決議自体が無効になると解することはできない(もっとも、解散決議が有効となれば、それに引き続いて会社は清算手続に移行するのであるから、必然的に従業員の解雇問題が発生するが、もともと解散と解雇は別個の問題であり、解散が有効とされたからといって、それに基づいてなされた解雇まで当然有効となるものではなく、解雇の効力を判断するに際しては、解散に至った事情をも斟酌しうるものと解するのが相当である。)。

四  労働協約違反について

1  被申請人と組合との間で本件解雇当時効力を有していた労働協約(以下本件協約という。)一八条には「会社は、左記の場合以外組合員を解雇しない。1本人が死亡したとき2本人の意思により退職を申し出たとき3懲戒解雇を必要とするとき4定年に達したとき5休職期間が満了してもなお休職事由が解消しないとき6その他会社・組合協議の上必要あるとき。」と規定され、さらに同五条には「会社は企業の合併、分割、譲渡、解散、縮小、休廃止、移転等は会社が決定するものであるが、決定するについては事前に組合と協議し、組合の納得を得てから施行するものとする。」と定められていることはいずれも当事者間に争いがない。

ところで、本件協約における事前協議条項は、企業の改廃、すなわち合併、縮小、閉鎖、解散等組合員の身分や生活に重大な利害関係がある事項については、改廃を決定するにあたり組合の関与を認めることにより使用者の恣意を排除し、組合員の労働条件に関する使用者の措置が適正になされることを確保しようとしたものであると解すべきである。

したがって、右条項に明文の規定は存しないが、事業閉鎖や会社解散に不可避の解雇が、組合員にとって最も重大な労働条件の変更であることは明らかであるから、右条項の事前協議の対象に含まれるものと解するのが相当である。

もっとも、右事前協議条項にいう「組合の納得」とは、すべての場合に組合の理解、了解、承認を得るまで協議を尽す必要があると解するのは相当でなく、会社解散とそれに伴う従業員の解雇等が会社のおかれた客観的状況から必要かつやむを得ない措置であると認められ、かつ会社が組合に対して右の事情を客観的資料等に基づき出来る限り詳細な説明をし、理解を求むべく真摯な努力をしたにも拘らず、組合側がその実情を無視して協議の進行に応じようとしない場合には、会社は協議を打ち切り、解散、解雇等を行うことができると解すべきである。

2  前記当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を一応認めることができる。

(一)(1)  被申請人会社は、昭和二四年一〇月資本金五〇万円で設立され、当初古機械工具および鉄鋼原材料の販売を行っていたが、翌二五年九月資本金を一〇〇万円に増資するとともに本社工場を新設し、そのころから住友金属の第一次下請機械加工工場としてもっぱら同社の発注する列車の車軸、台車、車輪の切削加工、鋼管の外型削り作業のみによって工場の稼働体制を整えるようになり、その後は順調な発展を遂げ、工場も右本社のほかに、住友金属製鋼所構内に通称所内工場を開設し、さらに住友金属が和歌山市に製鋼所を建設するのに伴い、同社の要請に基づき昭和四七年ころ、右製鋼所に隣接して前記和歌山工場を順次開設するなど会社の規模や業績の拡大に努めてきた。

被申請人会社は住友金属の下請となってからは、現在に至るまで受注量の一〇〇パーセントを同社の注文に依存しており、会社の各工場において使用する工作機械その他の生産設備は殆どすべて同社から発注される原材料の切削加工に適合した専用機等であり、右設備機械中には同社から払下げを受けたものや同社の要請に基づいて新規購入されたものもある。

また、仕事の手順、内容についても、まず住友金属より事前に加工すべき原材料の形状や数量を記載した内示表と加工予定図面が被申請人会社に送付され、これに基づいて被申請人代表者(以下野口社長ともいう。)が既に決定されている単価表を参考にして見積表を作成、提出することにより始めて住友金属から原材料が発注されるという仕組になっており、したがって、住友金属の生産計画に応じて被申請人会社自体の生産計画を立てざるを得ない関係にあり、住友金属の生産工程に事実上完全に組み込まれていた。

(2) 被申請人会社の業績は、前示のとおり当初は順調な伸びをみせていたが、昭和四〇年ころからは次第に下降線を辿るようになり、昭和四七年のいわゆるドルショックを契機として会社の専属受注先である住友金属からの受注量が大幅に減少し、それに伴い経営内容も急激に悪化し始めた。このため、被申請人は同年五月ころ、組合に対し、人員削減案を提案し、組合と十数回にわたり協議した結果、同年九月ころ、組合の了解を得たうえ、希望退職の名目で約三〇名余りの従業員の人員整理を行った。なお、解雇者の退職金は本社工場の敷地約二〇〇坪を売却した代金約三〇〇〇万円と銀行からの借受金約六〇〇万円が充当された。

その後住友金属からの受注量が若干回復したことに加えて、単価の値上げが認められたことから経営状態も一時好転の兆しがみえ始め、昭和四九年一〇月三一日決算の第二六期には利益金として九〇〇万円を計上することができたものの、いまだ繰越欠損金を補填するには足りず、苦しい経営を強いられた。しかし、昭和四八年のいわゆる石油ショックの発生以来経済界全体の構造的な長期不況を反映して人件費等の営業費用が増加する一方、唯一の取引先である住友金属からの受注量が全品目とも停滞ないし減少気味となり、それに見合う単価の引上げも容易に認められなかったこともあって、被申請人会社の経営内容は、再び極めて切迫した状態に転じ、昭和五〇年一〇月末の第二七期決算期には、当期損失金として八三七万円を計上して再度赤字経営に転落するに至り、前期繰越金を合わせると累積赤字は二七七〇万円に達した。なお被申請人会社の営業年度は毎年一一月一日から翌年一〇月三一日までとなっているが、昭和四八年一一月一日以降三か年間における各期の収支概要および長期または短期の借入金の内容は別表(一)記載のとおりである。

(3) そこで、被申請人は昭和五一年一月、かつて組合の要請により会社の財務諸表等の会計書類を分析した経験のある公認会計士大西耕三郎を正式に会社顧問として迎え入れ、同人の指導のもとに会社および従業員が一体となって積極的に経営の立て直しを図ることとなった。

同公認会計士は、被申請人会社の経理資料を分析した結果、その経営が悪化するに至ったのは、石油ショック以来の産業界一般の構造的不況に伴い、住友金属からの受注が年々激減してきたという外部的要因と、被申請人会社は野口社長の個人会社であり、他の中小企業と同様特別の経営スタッフを置かずもっぱら社長個人の長年の経験と信用に頼るという前近代的な経営管理体制を固守していたため、受注量の減少という不測の事態に十分対応できなかったという内部的要因にあると判断し、同公認会計士の提案に基づき、被申請人は、まず経営管理を合理化し、経費を節減して生産性を向上するための諸方策に取り組むこととし、会社の機関として社長を始め各工場の工場長や班長クラス全員を構成員とする経営協議会を毎月一回一〇日ころを目処にして定期的に開催し、その席上試算表や見積表に基づき翌月の経営計画をたてる一方、前月の作業実績を再検討したうえ作業能率の改善を図ることとなった。

また、当時会社の資金繰りがかなり切迫していたことから、被申請人は会社の実情を説明し、組合の同意を得たうえ昭和五一年一月から五月まで全従業員の賃金支払を一律七ないし八パーセント繰り延べした(その後支払済)ほか、同年四月ころ住友金属の対中国向け車軸輸出商談が一時中断していたことに伴い住友金属からの車軸の受注量が一〇〇〇本から五〇〇本に半減される見通し(その後の交渉で結局八〇〇本を確保)となったため、組合に対し、文書により五八歳以上の者で出勤率の悪い者を基準とした希望退職者の募集と奨励金の廃止、管理職の残業制限その他人員の配置転換等を内容とする再建案を提案し、折から続行中の春闘の賃上げ交渉と平行して週一回の割合で団交を行った結果、同年六月ころ、ようやく五八歳以上の従業員を対象に希望退職という名目で一三名の人員整理を行った。

4 被申請人会社の各工場における第二八期(昭和五〇年一一月一日以降同五一年一〇月三一日迄)の月別損益は別表(二)記載のとおりであり、昭和五一年一月以降についてみれば、本社工場においてほぼ毎月黒字となったのに対し、所内および和歌山の各工場においては多少赤字幅は減少したものの、それ程目立った改善は認められなかった。

殊に和歌山工場においては、昭和五一年当時すでに仕事量が従前に比して半減していたことに加えて、住友金属和歌山製鋼所では毎年二回(各半月づつ)定期検査が施行され、その間は同製鋼所から和歌山工場に対して仕事が全く発注されなくなるため、右定期検査が終了するまでは、事実上操業を中止せざるを得なくなり、このことが和歌山工場における赤字の大きな要因となっておりひいては会社全体の収支を圧迫する大きな原因にもなっていた。

そして、被申請人および組合とも今後和歌山工場の収支を早期に改善することは困難であるとの点で意見が一致し、しかも当時同工場ではほとんど仕事がなく、同工場に勤務する従業員も所定の退職金が支給されることを条件に和歌山工場の閉鎖に同意していたことから、被申請人は、同年八月ころ、右工場を全面的に閉鎖し同工場内の土地(会社所有地約三五七坪、借地約八〇〇坪)および建物、機械類等を売却し、その代金で毎月一五〇万円余りの利子を支払っていた長期借入金の弁済等に充てようと考えたが、有力買受先であった住友金属との売買交渉が同社の社内事情により不調に終ったことに伴い、和歌山工場の閉鎖問題も一時立ち消えとなった(ちなみに、本件解散直前の昭和五一年一一月一日から翌五二年一月三一日までの三か月間における本社・所内の両工場と和歌山工場における損益状況は別表(三)記載のとおりである。)。

(5) 前示のとおり、大西公認会計士の指導のもとに昭和五一年一月以降会社と組合は一体となって労働時間の短縮や残業の制限、人員削減等生産性の向上を図るため努力を重ねてきた結果、一応の成果は認められたものの、会社内部における経営の合理化にも一定の限界があり、会社の抜本的な再建を図るには、住友金属からの受注量の増大と単価の引上げが必要不可欠の条件であった。そこで、組合では、直接、親企業である住友金属に対し会社の窮状を訴え協力方を要請することを企図し、その可否について野口社長や大西公認会計士とも数回にわたり協議したところ、野口社長は当初組合が直接会社の取引先と交渉するのは被申請人会社に対する心証を害することになるとの理由で消極的であったが、最終的には了承した。この結果、同年一二月一〇日、組合は、現在の人員体制に見合った仕事量の確保と単価の引上げ、運転資金等の融資、住友金属和歌山製鋼所における定期検査施行期間中の休業補償等八項目を内容とする「職場と生活を守るためのお願い」と題する書面を住友金属本社に提出して善処方を依頼した。そして、申請人丸山ら組合員は同月一七日同本社へ右「お願い」に対する回答を受け取りに赴いたところ、本社から直接仕事を出している同社製鋼所へ持参するよう指示され、やむなく組合員らは同月二三日右文書を右製鋼所へ持参し、翌五二年一月一四日再度右「お願い」に対する回答を受領すべく右製鋼所へ赴いたものの、野口社長に返事をすると答えるのみで、結局住友金属から組合に対する直接の回答は得られなかった。

他方、野口社長は住友金属本社に呼び出され、組合が直接住友金属に対し前記のような要望書を提出したことについて、労務管理が不徹底であるとして叱責された。

(6) このような状況に、後記二月および三月の資金繰りが少なからず逼迫していた事情も加わり、野口社長は次第に、和議或は会社整理の手続に訴えてでも会社の経営状態の抜本的再建を図る意欲と自信を失い、遂に一月中旬頃には事業閉鎖の決意を固めるに至った。そして、特別清算申立ての際必要となる諸資料の整備の一環として、会社の財産目録や貸借対照表の作成、電話加入権や自動車登録証明の取寄せ等を秘かに事務職員に命じ、その手続上の準備に着手した。しかし、同社長は、もし事業閉鎖の確定基本方針が事前に組合側に知れると、争議その他少なからぬ混乱が会社内に生じ、経営者としての責任を追及されるものと危惧し、現実に解散決議が成立するまではその準備作業を穏密裡に進めることとした。

以上の事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

(二)  なお、被申請人は、本件会社解散は、被申請人代表者である野口社長の一時的感情に溺れた単なる個人的意思に基づいてなされたものではなく、根本的には極度の業績不振、当面の重大な障害として、住友金属からの受注見込みの減少及び昭和五二年二月の資金繰りの行き詰りという経営上やむを得ない客観的事情に基づいてなされたものである旨主張する。

確かに、前記各証拠によれば、被申請人会社は本件会社解散当時六〇〇〇万円の累積赤字を抱え、さらに毎月二〇〇万円前後の赤字を計上していたことが認められ、その経営状態がかなり切迫していたことは明らかであり、したがって、このまま適切な対策を講ずることなく、漫然と経営を続けていけば、いずれは倒産のやむなきに至るであろうことは否定できない状況にあったと解さざるを得ない。

しかし、前認定事実によれば、被申請人会社の経営内容は、本件会社解散当時急に悪化したわけではなく、元来、被申請人会社はすでに昭和四八年ころから赤字基調の経営を余儀なくされ、その間何度かの経営危機に直面しながらもその都度組合の協力を得てこれを克服してきたのであり、そのうえ昭和五一年一月ころから公認会計士を会社の経営顧問に迎え、その指導のもとに経営協議会を設置するなどして前近代的な経営体質の改善に努める一方、住友金属からの受注量が年々減少する傾向にあったことに照応して余剰人員の削減による経営規模の縮小を図るとともに労使一体となって経営の合理化に関する諸方策を積極的に押し進めてきた結果、徐々にではあるがその成果にあらわれてきていたのである。

また、前記別表(三)によって本件会社解散直前三か月間における被申請人会社の営業実績をみると、本社および所内の両工場においてはわずかではあるが黒字を計上しているものの、和歌山工場においては七五〇万円余りの赤字を出し、今後ともその赤字基調は続くものと推測され、しかも会社再建にとって同工場の存在が重大な障害となっていることについては被申請人と組合との間ですでに意見が一致しているうえ同工場に勤務する従業員も規定の退職金が支給されることを条件に同工場の閉鎖に同意していたのであるから、本件会社解散当時同工場を閉鎖することについては全く支障がなかったにもかかわらず、被申請人が右工場の閉鎖につき真剣に検討したり、右工場跡地の売却先を物色するなどの努力を払った形跡は全くない。

また、受注見込みの減少については、

前認定のとおり被申請人会社は住友金属の完全下請企業であって、その営業形態やこれまでの同社との取引関係等に照らすと、同社からの受注が途絶えれば、直ちに経営が成り立たなくなることは明らかであり、また生産性の向上や経営の合理化等の企業内努力にも一定の限界がある以上、最終的には同社からの安定した受注量の確保が会社再建の成否を決するうえで必要不可欠の条件となっていることは否定できないが、成立に争いのない疎甲第七九号証によれば、住友金属の下請関係部門の責任者であった松岡工程部長が被申請人の主張する予算説明会の席上において同年四月以降の発注見込みが二〇パーセント程度落ち込むと説明したことはあるものの、その趣旨は、当時の市況や景気の動向等から判断すると住友金属自身の受注量が減少する見通しであったことから、それとの関連で、同社から下請業者に対し発注される仕事の総量も約二〇パーセント程度落ち込むであろうとの単なる予測を述べたにすぎないことが認められるうえ、被申請人代表者尋問の結果によれば、右説明会の後本件会社解散時までの間において、被申請人会社に対する受注見込みについて前記松岡工程部長に直接確認を求めてはいないことが認められるのであり、さらに、昭和五二年二月の資金繰りの行き詰りについても、被申請人代表者は、二月末には五〇〇万円程度の資金不足が生じる見通しとなったため、取引銀行である大阪銀行塚本支店に赴き、短期借入金三〇〇万円のうち二月の支払分一五〇万円の返済猶予を求めるとともに中小企業金融公庫の貸付枠の範囲内で同銀行より代理貸付を受けようと努力したが、同銀行より右短期貸付金の返済が先決であるとして右貸付を拒絶され、そのため仮に二月を乗り切っても三月の資金繰りの当てが全くないので、万策尽きて本件会社解散に踏み切った旨供述しているが、《証拠省略》に照らすと、被申請人代表者が大阪銀行塚本支店に対し、融資の申込みをしたが、拒絶された旨の供述部分はにわかに措信しがたいというほかなく、また、被申請人代表者尋問の結果によると、本件会社解散後の清算手続中において同年八月末までのわずか半年余りの間に清算手続費用に支弁するという目的で会社の所有土地を担保に約二〇〇〇万円近くの借り入れをしている事実が認められ、右事実によれば、本件会社解散当時においても被申請人会社の所有不動産にはかなりの担保余力があったものと推測され、したがって、被申請人に真実再建を望む意思があったならば、右不動産を担保に運転資金の融資を得る余地は十分あったものと解されるのである。

そうすると、本件会社解散ならびに特別清算の申立ては、果して緊急かつやむを得ない客観的事情に基づくものであるか否かについて疑問がないとはいえず、結局、前認定のとおり被申請人代表者である野口社長個人の経営意欲の喪失という主観的事情に起因するところが大であったと推認されるのである。

3  そこで、被申請人が本件解雇をなすにあたり、右条項にいう「協議」をどの程度尽したかについて会社解散の前後における団体交渉の経緯を中心に検討することとする。

(一)  《証拠省略》を総合すると、次の事実を一応認めることができる。

(1) 組合の上部団体である全大阪金属労働組合の小林執行委員長は、昭和五二年二月六日午後大西公認会計士より、被申請人会社の二月、及び三月の資金繰りが苦境にあり、場合によっては前年の如き賃金の遅配、欠配という事態もあり得る旨の電話を受けた。このため、同委員長は、右の点を直接野口社長に質すべく、二月七日組合分会長である申請人丸山主税を通じて翌二月八日組合役員と面談する機会を持つことを要請し、同社長の承諾を得た。

右約定に従い、二月八日午前一一時頃から被申請人会社会議室において、組合側から出席した組合三役(分会長申請人丸山、副委員長申請人有滝信男、書記長申請人多羅岡永滋)及び執行委員申請人鈴木満夫ならびに前記小林委員長ら五名は、野口社長と約一時間にわたって会見し、問題の二月及び三月の資金繰りに関して説明を求めた。これに対して同社長は、当面二月の運転資金として約五〇〇万円が不足するうえ、住友金属からの発注量も減少しているので、最悪の場合会社の特別清算も考えている旨、始めて企業閉鎖の意向もあることを表明した。しかし、同社長の右所信は未だ確固とした決意としてではなく、その可能性もあるという程度のニュアンスを伴ったものであったため、組合側に強い衝撃を与えるということはなかった。そして、右会談の終り近く、組合側は、資金繰りがその様に苦しいのであれば、組合としても前年の場合の如く、賃金(組合員五〇名余の一か月分賃金総額は約九〇〇万円)の一部遅配を含めて可能な限り右資金調達には協力する旨申し入れたところ、同社長もこれに応えて、二月の資金繰りについて再度真剣に検討努力する旨表明し、この日の会談を終えた。

(2) 次いで、二月一二日午後六時より被申請人会社食堂において会社と組合間の話し合いが行われた。なお、この日の話し合いは、前々日の二月一〇日組合側からの要求に基づいて正式の第一回団交として開催されたものであったため、組合側は組合三役のみならず執行委員七名が、会社側は野口社長のみ(その後の団交においても同様)がそれぞれ出席した。

冒頭、組合側は、被申請人が万一倒産した場合を慮り、労働債権の確保と債権者対策とを兼ねて、会社資産についての会社、組合間の使用および譲渡に関する協定の締結を要求したが、野口社長が組合側指示にかかる協定案の内容を検討したうえ回答する旨述べ態度を留保したので、その後はもっぱら資金繰り問題について論議が集中した。野口社長は資金繰りの目処が立えないことを理由に、特別清算の可能性があることを再度繰り返し、再建の方向に対する消極的態度を示したが、右所信の表明は客観的資料による裏付けを伴ったものではなかったため、組合側の理解を得るには至らず、かえって団交が進むにつれて、野口社長は組合側の強い再建希望にほだされた形で、「特別清算は水に流し、再建の可能性について再検討する。」旨述べたため、組合側も漸く納得し、翌々日の二月一四日に第二回団交を行うことを約し、午後一〇時過ぎ散会した。

(3) 第二回団交は、二月一四日午後六時頃から会社食堂において始められた。席上、まず前記譲渡協定の締結に関する交渉が三〇分余り行われたが、野口社長はあくまで調印することに難色を示したため右の件に関する交渉は一応打ち切られ、その後は前回同様再建の可能性、方途に関する論議が中心となった。そして、野口社長は、一二日以降資金繰りに奔走したが結果はいずれも思わしくなかった旨述べるとともに、依然何らの客観的根拠を示さないまま会社の窮状を訴えるのみであり、一方組合側も具体的方策を示さないままの再建の主張であったため、議論は平行線を辿り、ともすると空転しがちとなった。そこで、野口社長より組合側から具体的な再建案を提示して貰いたい旨の要望が述べられ、組合側も次回団交の際これを提示することを約し、二月一七日に第三回団交を行うことを予定して、午後一〇時頃散会した。

(4) そして、予定どおり二月一七日午後六時より第三回団交が会社食堂において行われた。

冒頭、組合側は、前回団交時の約定に従い、和歌山工場の全面閉鎖及び売却処分、本社工場敷地の一部(約二〇〇坪)の売却処分、従業員の労働条件の一部切り下げ等を骨子とする再建案を野口社長に正式に提示した。これに対して、同社長は、右再建案の採用は困難との態度をとりつつも、一方では住友金属からの受注量がこれ以上減らなければ事業継続の余地もある、組合の同意を得ないで一方的に会社解散、特別清算の申立てをするようなことはしない等と述べ、相矛盾する言動を示した。このため、組合側も、野口社長が再建か解散かのいずれの道を選ぶのか早急に明確な態度を示すよう迫り、同日提示された組合側の再建案も含めて他に適当な再建の方途があるか否かを慎重に検討するため、今回は日時の猶予を充分とることとし、次回団交を五日先の二月二二日に行うことを約して、午後一〇時頃その日の団交を終えた。

(5) 前示のとおり、被申請人は、同月一八日臨時株主総会を開いて解散決議を了したうえ、同月一九日大阪地方裁判所に対し、債務超過を理由に特別清算手続開始の申立てをしたが、同月二二日たまたま被申請人がすでに会社を解散して特別清算の申立てをしていたことを聞知した組合は、同日予定されていた団交の席上において、それまで会社再建について努力する旨言明しながら急に態度を一変し、しかも組合に無断で企業を閉鎖した会社側の背信行為を厳しく追及した。そして、直ちに特別清算の申立てを取下げ、再建問題について組合と話し合うよう要求したところ、野口社長は労働協約に違反して組合の納得を得ることなしに解散決議をしたことについては遺憾の意を表したが、特別清算の即時申立て取下げについては頑強にこれに応ぜず、しばらく考えさせて欲しい旨答えるのみで議論は平行線を辿ったため、翌二三日早朝漸く団交は打ち切られ散会した。その後、同日午前一〇時ころ、組合分会長の申請人丸山は野口社長より特別清算の申立てを取下げる意思のない旨の通告を正式に受けた。そこで、組合側では会社解散の場合と同様、被申請人が再び組合と協議することなく一方的に従業員の解雇を強行することを危惧し、同月二五日文書により被申請人に対し団交の申入れをなした結果、同月二六日午後三時ころから第五回の団交が開かれた。席上、まず組合側より特別清算の申立てを取下げるよう再度要求したのに対し、野口社長は取下げる意思のないことを明言し、さらに、会社を解散した以上、今後住友金属から仕事は一切発注されない見通しである旨を強調した。これに対し、組合側はすでに同月二五日大阪通産局に対し、住友金属が従前どおり被申請人会社に対し、仕事を発注するよう行政指導を求めていた矢先であったので、少くとも住友金属から受注が続いている限り、従業員を解雇しないこと、仮に従業員を解雇する場合においても、労働協約を遵守し事前に組合と誠実に協議することの確認と、会社再建案についての再度の具体的再検討を強く被申請人に迫った結果、漸く野口社長もこれに応ずる意思を表明したため、以上の三点を文書化し、組合と被申請人を各々代表して丸山分会長と野口社長が調印した「覚書」が作成された。

組合は被申請人に対し、今後の労使問題につきさらに協議するため、同年三月三日および同月八日いずれも文書で団交の申入れをしたが、被申請人はこれに応ぜず、その後本件解雇に至るまで団交は一回も行われなかった。

以上の事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

(二)  前認定の事実によれば、まず看過しえないのは、野口社長はすでに本件会社解散決議がなされる約一か月以前に事業閉鎖の決意を固め、その手続上の準備作業を着々と進めていたにも拘らず、組合に対しては、話合い、団交の過程において会社解散、特別清算の申立てを単なる可能性として示唆するにとどまり、会社解散が確定した会社の方針(被申請人代表者尋問の結果によれば、被申請人会社の発行済株式総数一八万株中、野口社長は一〇万五二〇〇株と過半数を優に超える株式を保有し、その他数人いる株主も同社長の義弟、甥、友人等いずれも縁戚、知人であることから、被申請人会社は実質的に野口社長の個人会社といってもよく、被申請人会社の経営存廃に関する最終的方針は事実上野口社長の個人的意思にかかっていたことが認められる。)であることを、本件会社解散の決議が現実になされるまで一度も明らかにせず、これを秘匿していたことである。しかも、団交の席上においては、組合側より会社再建の方向で努力して欲しい旨の申入れを受けるや、これに迎合するかの如き言辞を弄する等きわめて曖昧な態度に終始したため、数次にわたる話合い又は団交における協議の内容は、もっぱら会社再建の方途をめぐる検討が中心となっていたものであって、被申請人側から会社解散の理由や必要性について、客観的資料を伴った具体的説明をしたことは一回もない(なお、仮に右話し合い、団交における協議内容がもっぱら会社解散の当否であったとしても、従業員の身分、生活に重大な関連を有する問題を協議する回数及び時間として決して十分なものとはいえないであろう。)。

また、会社解散後においては、必然的に従業員の解雇問題が現実化してきているにもかかわらず、被申請人は組合に対し、解散決議後に行われた二回の団交においても、解雇の必要性やその実施時期についてはもちろん退職金、解雇予告手当金の支給、支払時期その他解雇後の再就職のあっせん等いずれも従業員にとって看過することのできない重要な解雇条件について一切協議の申入れすらしていない。

しかも、二月二六日の団交において今後従業員を解雇する場合においては事前に組合と誠実に協議する旨の内容の覚書を取り交しておきながら、右二六日以降においては組合側より再三にわたる団交の申入れをうけながら、これに応じようとする態度さえ示さなくなったのである。

結局、本件会社解散とこれに伴う本件解雇は、結果的にみると組合を欺罔したいわば抜き打ち的措置であったと評価されてもやむを得ないものである。

なお、被申請人は、組合が本件解散当時すでに被申請人会社の経営内容が極度に悪化し、解散のやむなきに立ち至っていることを知悉しながら、あくまで会社再建に固執したためその同意を得ることができなかった旨主張しているが、被申請人が本件会社解散前の組合との三回にわたる団交の席上、会社の解散問題を正式議題として協議の申入れをした事実が一度もないことは前示のとおりであり、被申請人会社の経営状態がかなり切迫していた点については会社解散に至る経過や毎月定期的に開催されていた経営協議会の席上被申請人より提出された関係書類等を通じて或る程度把握していたことは推測しうるとしても、すでに検討したとおり、本件解散当時は直ちに企業を閉鎖しなければならない程の緊急性が存したことについてはなお疑問の残るところであり、仮に被申請人の主張するように直ちに解散をしなければならない客観的状況にあったとしても、これまで労働時間の短縮や賃金の繰り延べ、残業その他諸手当の廃止または制限による実質的な賃金の切り下げなど多大の不利益を甘受しながらも被申請人会社の企業維持に協力してきた申請人らにとって、その生活の基盤となるべき職場を一方的に奪われることになる企業の閉鎖やそれに伴う解雇について反撥し、強く会社の再建を主張したからといって、一概に非難されるべき筋合ではなく、多数従業員の生活の基盤を預る使用者にとっては、会社解散やそれに伴う解雇を決定する以上、従業員に対し、その旨を明確に表明することはもちろんその理由および必要性についても十分説明することが最低限求められているものと解するのが相当である。

以上の検討によれば、被申請人は本件協約に定められた前記事前協議を十分尽したものとは到底認めることができない。

よって、本件解雇は、本件協約に違反したものとして、申請人らのその余の主張について判断するまでもなく無効と解すべきである。

五  本件解雇が無効である以上、申請人らはなお被申請人の従業員たる地位を保有し、かつ被申請人に対し賃金請求権を有するものというべきところ、申請人らが本件解雇当時被申請人から毎月末日払いで別紙賃金一覧表記載のとおりの各賃金の支払いを受けていたことは当事者間に争いがない。

そして、《証拠省略》によれば、申請人らはいずれも、被申請人から支給される賃金のみによって生計を維持している労働者であり、他に特別の資産、収入もなく、平均年令も四五歳余と比較的高いため、妻子を抱えて生活に困窮していることが認められるから、本案判決確定に至るまで申請人らが被申請人の従業員たる地位を仮に定めるとともに、被申請人から申請人らに対して前記各賃金を仮に支払われるべき必要性があると認めるのが相当である。

六  結論

以上の次第で、申請人らの本件仮処分申請は理由があるから、申請人らに保証を立てさせないでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 板垣千里 裁判長裁判官大沼容之、裁判官皆見一夫は転補のため署名押印することができない。裁判官 板垣千里)

<以下省略>

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